アールト大学 IDBM留学日記

デザイン × ビジネス × テクノロジー

新たなチャレンジへ

2020年も既に9月の半ば。ヘルシンキの気温もぐっと下がり、部屋の暖房もつきました。

IDBM自体は6月に卒業したのですが、卒業セレモニーは9月に実施、、、のはずだったのですが今年は残念ながらキャンセルに。証書を学校のロビーに取りに来るように、とのメールがあったので、取りに行きました。受け取ったあと、友人と学校のあちこちで記念撮影しました。この日は9月3日。写真の履歴を見ると、ちょうど2年前のこの日も学校のロビーで写真を撮っていることに気づきました。2年前の写真と比較すると、僕自身の外見に特に変わりはないようですね。が、2年間を振り返ると、まぁ色々あったなーと、思い出が蘇ってきます。

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2年前と、今と

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校舎Väreの前で

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アールト建築のAmfitheatreにて

 

アールト大学の卒業証書

卒業証書はどんな感じなの、というと、こんな感じです:

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アールト大学MA卒業証書

紙ペラ1枚なのかと思いきや、英語の証書や成績表、説明の文書に加えて、全てフィンランド語バージョンも入ってました。結構厚みのある紙束に驚きました。しかも結構良い紙です。2年間やった重み、みたいなのがありますね。正直、嬉しい。

 

夏の終わり

夏の間は仕事に加え、フィンランドサマータイムを満喫しておりました。

 

仲間と野生のブルーベリーを摘みに行ったり

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仲間と野生のブルーベリーを摘みに

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森中がブルーベリーだらけ。摘むの結構疲れます。

摘んだブルーベリーで、mustikkapiirakka(フィンランド伝統のブルーベリーパイとタルトの中間的なやつ)を作ってみたり

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mustikkapiirakkaを焼き中

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完成-自分にしてはうまくいったと思う

仲間とLinnanmäki(ヘルシンキの遊園地)に行ってジェットコースターに乗ったり(日本のクオリティに比べると全体的にショボいですが、1つ新しいジェットコースターはなかなか迫力あり)

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Linnanmäki遊園地

みんなでSUP(スタンドアップパドル)でヘルシンキの付近の島に上陸してみたり

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ヘルシンキでSUP

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小さな島に上陸

大聖堂の前の広場のアウトドアフードコートでランチを楽しんだり

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長老院広場が夏のアウトドアフードコートに

あとはひたすらアウトドアの自然をエンジョイしていました。

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新学年の始まりと新たなチャレンジ

夏の楽しみの他、仕事の一部でやっているPack-Ageという授業の助手として先生と一緒にコースをデザインしておりました。IDBMで学んだことを活かし、かなりみっちり企画しました。

今月からは新学年が始まり、僕自身も授業のワークショップをファシリテートしたり、アイディエーションやチームワークについてレクチャーをしたりと、意外と教える側に立っております。今までアカデミアでの仕事はどうなのかと思っていたのですが、やってみたら意外と面白い、どころか、自分自身の学びがものすごいと実感。「教える」という行動が「ガチで学ばないといけない」からでしょうか。自分のコンフォートゾーンを完璧に脱していますが、とても充実しています。

フィンランドで、アールト大学で、これからは学生としてではなく、学びの場をどううまく作っていくか、が今の新しいチャレンジです。

 

 

最後に

この回でアールト大学IDBM留学日記も最後になります。

2年前、スーツケース1つ引きずって初めてやってきたフィンランド

 

超適当な日記として始めたこのブログも、良く2年間も続いたなと思います。中学生のような文体で書いた記事も、たまに遡って読んでみるのも個人的には面白いですね。お読みいただいていた皆さま、ありがとうございました。次は仕事の日記でも始めようかな。まだ決めてませんが、そのうち考えます。

最後に、アールト大学IDBMへの留学をサポートしていただいた皆さまの支援なくしてはできなかったと思います。本当にありがとうございました。

 

アールト大学IDBM留学日記

 

IDBM卒業後、フィンランドでの仕事や生活、活動の様子はツイッターでアップしていきたいと思います

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修論 『Sustainability vs Culture : 日本の包装文化とサステナビリティを並置する』Part 3

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前回は修論の Literature Review についてまとめました。

 

Part 2はこちら:

aaltoidbm.hatenablog.com

 

Part 1はこちら:

aaltoidbm.hatenablog.com

 

今回はEmpirical Research(実証研究)についてと、そこから導かれた結論を簡単にまとめます。修論シリーズのラスト投稿です。

 

研究の当初定義したリサーチクエスチョンをもう一度振り返ってみると:

  1. 日本のパッケージの現状を形づくる歴史的、社会的、文化的要因は何か?それは今日のサステナビリティとどのように並置するのか?
  2. 日本のパッケージは、日本の社会文化的価値を保ちながら、ますますサステナブルになっていく世界とシンクすることができるか?もしそうなら、どのようにできるのか?

上記の問いの1つ目は前回のLiterature Reviewで明らかになりました。

2つ目の問い探るため、パッケージの製造、流通、使用という3つの異なるポイント(パッケージのエンドを取り巻くステークホルダー)の視点が必要でした。これらのステークホルダーは、Sustainable Packaging Coalition が発表するLife Cycle Assessmentの図から定義されます。

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Stages in the LCA that directly tie to consumption (Adaptation from SPC)

 

これらの直接的な知識を獲得するため、定性的および定量的な手法を組み合わせた3つの調査方法を使用したのですが、全部書くと長すぎてしまうので、当ブログ記事ではプロフェッショナルへ行ったインタビューについてまとめたいと思います。

インタビューはパッケージデザインに詳しいプロの日本人デザイナー5名と、包装資材メーカーのご担当者1名にお話を伺うことができました。デザイナーの皆さんからは、デザイン哲学やプロセス、そしてその哲学をデザインにどのように具現化するかを聞きました。特に重要だったのは、日本のパッケージデザインが持続可能性とどのように並ぶか、そして日本のパッケージデザインの将来はどこにいくか、を意識しながらディスカッションを進めることでした。メーカーのご担当者とのインタビューでは、業界トレンドや、日本の持続可能な包装の取り組みに対する彼らの考えについて直接聞きました。

 

5人のデザイナーと1つの包装資材メーカーへのインタビュー

インタビューは2020年2月から3月の間に行いました。ディスカッションは日本語で行い、録音された音声から重要な箇所は英語に翻訳しました。収集したデータを構造化するために Inductive Reasoning を適用しました。これは、点と点をつなぎ、共通のテーマを見つけ、理論を誘導する効果的な方法です。インタビューから得た生データから共通のトピックを一次概念としてコーディングし、さらに繰り返されるテーマをまとめ、最後に概念として集計する形です。結果としてデー​​タ構造図が出来上がり、生のデータが抽象的な概念にどのように取り入れられたかを視覚的に表現するのに役立ちます。

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Data structure leading to aggregate dimensions

 

インタビューからの帰納的推論

僕が行った6つのインタビューからは共通のカテゴリーが浮かび上がり、3つの大きなテーマにまとめることができました。 

  1. 持続可能性に立ちはだかる課題
  2. 日本におけるパッケージの形而上学的文脈
  3. 「時」の観点から見るトレンドの変位

 

以下は、上記3点について簡単にまとめたものになります:


1. 持続可能性に立ちはだかる課題

差し迫った気候変動とSDGs時代の今、日本はこれらを政府の取り組みとしてだけでなく、産業慣行としても取り組むことに目覚めています。あらゆる場所で持続可能性への関心を目にする一方、パッケージの持続可能性は最終製品自体では実現できないことが明らかになりました。これは cultural entity としての日本の体系的な構造を含め、包括的なスケールで扱われなければなりません。そして、持続可能性に立ちはだかる課題として現実的な理由とメンタルな理由の2つがあります。

まず、現実的な理由があります。工場ではラインの小さな変更でさえ、企業には数百万〜のコストがかかる可能性があり、コストが最終製品に反映される可能性があります。値上げされた製品の購入を消費者が拒んでしまうと、この努力が無駄になります。これはサステナビリティのTriple Bottom Line (People, Planet, Profit)と真逆に向かってしまいます。

また、Literature Reiviewからも明らかになった通り、マテリアルの切り替えには独自の欠点があります。例えば、プラスチックの代わりとして紙を使用すると木を使わなくてはならない可能性があり、その影響は言うまでもなく、さまざまなレベルで気候変動に寄与します。

さらに、材料の切り替えによっては製品の損傷リスクも高まる可能性があります。輸送中に(プラスチックの代わりに紙のパッケージによって)製品が損傷した場合、製品を店頭に並べられずに廃棄する必要があり、食品廃棄物が増加します。食品廃棄物が気候変動に与える影響の大きさについては、かなり多くの研究結果と学術論文が出ています。持続可能性は、マテリアルで簡単に切り替えられる単純な「オン/オフ」ボタンではないことがわかります。

上記の現実的な理由のほか、インタビューからはメンタルな課題が明らかになりました。それは、日本は文化として本質的にリスクを嫌い、その特徴はすべての段階に及ぶことです。これは日本の「High Context Culture」における一般的な理解であり、意思決定は、コンセンサスを支持する時間のかかる内部参加型プロセスに基づいています。(High Context Culture = 阿吽の呼吸、空気を読む、暗黙の了解、のような、言葉を用いずに集団で一定の共通認識をするコンセプト)

日本の構造化組織では多くの場合、たとえ小さなことであっても、変更を行うにはさまざまなレベルの承認が必要です。これらの承認が必要とされる理由は、リスクを負うことにより発生する「責任」でしょうか。このような問題は、組織の行動手法と速度を理解するために重要です。当修士論文では Organizational Management のエリアは対象外ですが、日本における持続可能性を考える現実的なステップを踏む際の重要なポイントとして言及されなければいけません。

 

2. 日本におけるパッケージの形而上学的文脈

Literature Reviewでは日本におけるパッケージが特別な意味を持っていることが発見されましたが、その最大の疑問の1つに、それが現代の文脈でどれだけ有効なのかということがありました。定量的調査の結果から、消費者の考え方に関するある程度の洞察が明らかになりましたが、現代の日本のパッケージの意味をもっと理解する上では専門家からの洞察を必要としました。インタビューの結果、形而上学的な文脈に関連する2つのことがわかりました。第一に、特に贈り物として役立つハイエンド製品にとって、パッケージの背景には今でも特別な意味があること。そして第二に、持続可能性を達成するためには、製品を作っている組織(企業)も持続可能性に関する哲学をしっかり持っている必要があること。

恩と義理の社会的概念は、現代の人々がそれを認識しているかどうかにかかわらず、依然として日本の文化を構成するものの主要な部分であるため、贈り物をする習慣は残ると推測されます。より環境にやさしい素材を使用するなどの小さなトレンドへの対応はありますが、根本的な儀式は残るでしょう。インタビューから得られた主要なインサイトの1つは、サステナビリティというものは日本の文脈で検討する必要があるということです。その言葉自体が「エキゾチックな言葉」だと言っても過言ではないかもしれません。

贈り物の文化とパッケージの重要性が残るとしたら、パッケージは日本にとって今後どのようになるのでしょうか?良いニュースは、日本がこのエキゾチックな用語を取り入れてそれをベースに積み上げる能力を持っていることです。たとえば、すべてのデザイナーは、パッケージ(だけに限らずですが)をデザインするとき、製品自体がデザインのインスピレーションになると述べています。さらに、最終パッケージをデザインするだけでなく、パッケージの中の製品のブランドとアイデンティティもデザインしていることがわかりました。多くの場合、クライアント企業は最初に最終パッケージのみのデザイン、という特定の要件でデザイナーにアプローチしますが、デザイナーは一歩下がって製品の背後にあるストーリーを見て、パッケージのインスピレーションを得ます。パッケージがサステナブルになるには、製品そのものも持続可能性を遵守する必要があります。そして、それを製造する企業にも持続可能性の特性が必要になります。さらに、パッケージは​​日本では非常に深い意味を持っているため、パッケージ自体の意味が持続可能になることが不可欠です。

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Behind sustainable thinking methods and frameworks

上の図はこの理解の構造を抽象的に視覚化したものですが、各層がより広範な概念レベルの上に基づいています。例えば、1つの製品のパッケージを、「プラスチックの代わりに紙を使用して包装がサステナブルになった!」と主張されたとしても、持続可能性を判断するには、その製品自体と会社の基本的な哲学や姿勢を精査する必要があるわけです。

 

3.「時」の観点から見るトレンドの変位

SDGsと持続可能性のテーマが日本でもメジャーになってきた今、今後これをもっと目にすることと推測されます。デザイナーとメーカーのインタビュー対象者のほぼ全員が、ここ数年間で持続可能性に関連する仕事量が明らかに増加したと述べています。そしておそらく、「持続可能性」という言葉自体も国にnormalizeするでしょう。「環境に優しい」や「エコ」というテーマは日本にとって決して新しいものではないです。

江戸時代の約200年間、江戸は自立したコミュニティを持続できていました。外国への門戸を閉ざしていたので、繁栄のために内側を見る以外に他に選択肢はなかったわけです。(江戸時代の生活様式サステナビリティに関しては日本研究家のAzby Brown氏の著書を参照)。江戸のような事例は、日本が持続可能な未来に向けて取り得る可能性を例示しています。日本のサステナビリティの現在の局面を大きな時間の流れの中の一点として見ると、点がつながっているように見え、ストーリーが明確になります。世界は持続可能性を必須の動きとして認識し、日本でもそれが徐々に浸透しつつある、というフェーズになるわけです。

 

結論:日本のパッケージの未来についての考察

当論文では Literature Review(理論的研究)と Empirical Research(実証的研究)の結果を組み合わせて俯瞰し、結論を導き出します。

日本のパッケージとサステナビリティ。一見すると2つの力は異なる方向を向いているように見えましたが、未来ではそれらは並行するだけでなく1つになる ー 日本のパッケージは本質的に持続可能性と同義になる可能性がある、と結論付けます。

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Juxtaposition of forces becoming synonymous

 

文化と持続可能性が調和した望ましい未来

日本のパッケージを取り巻く望ましい未来は、持続可能性が実現されると同時に、日本の文化的重要性が調和して維持されている未来であると定義したいと思います。その理由は2つあります。まず、この論文で研究されているように、持続可能性は現在のメガトレンドであり、今後の地球にとって間違いなく必要なものです。第二に、日本の文化的重要性は国民の礼儀正しさや、真面目さ、公共および民間のビジネスサービスの正確さ、清潔さなど、日本の国という価値ある特徴の原動力であると考えるからです。

この望ましい未来は現在からかなり大きなステップかもしれませんが、それほど遠い話ではないと考えます。この未来ではビジネス慣行が大きく規制され、生産する事業者がそれぞれ廃棄物を収集する Circular Economics のモデルが実現されます(包装のゴミにそのまま当てはまるわけではありませんが、Patagoniaなどの企業がCircular Economicsの先頭を走る良い事例になります)。

また、材料の革新も大きく進歩し、プラスチックのような材料でも分解して自然に戻ることができるでしょう(プラスチック同等の耐久性を持ち、自然分解可能なマテリアルの例はすでに複数あり)。この革新は、木材や竹、わら、紙のような自然の要素を持っている伝統的な日本のパッケージングアートに似ています(伝統パッケージに関しては岡秀行氏の著書の数々を参照)。パッケージの重要性と、持続可能性がうまくバランスされている例ではないでしょうか。

 

さらなる研究に向けて

この論文では、日本のパッケージの歴史的、社会的、文化的要因を明らかにし、今日のサステナビリティとどのように並置するのかを明確にしました。そしてそれが日本の社会文化的価値を保ちながら、サステナブルになっていく世界とシンクすることができるのか、という問いに対しての結論を導きました。現状のナレッジとのギャップへの新しいナレッジを生み出した一方で、さらなる研究の余地は無限にあることは否めません。その一つに、日本における「神性としての包装」に焦点を当てた研究があると個人的には思ってます。もしこの研究を続けられるとしたら、当論文で出たパッケージの大切さ(物理的+神性的)のspiritualのエリアにさらに一歩踏み込んだ、新しいパッケージの概念を追求してみたいなと考えます。

 

以上で修論シリーズの最後の投稿になります。読んでみると少し割愛しすぎたかなと反省しております。わかりづらかったらごめんなさい🙏

英語にはなりますが、本編はアールト大学に電子格納されておりますので、もし興味があれば読んでみてください。

 

この論文の反応

以前のブログ投稿にも書いた通り、この論文を複数の箇所で発表する機会がありましたが、反応は良かったと思います。また、当論文がきっかけでアドバイザーに声もかけてもらえ、アールト大学で研究の仕事もしつつ、授業のデザインもするという、中々できない仕事につけました。

 

インタビューについて

当リサーチで行ったインタビューは、各対象者のプライバシーを守るため、全て匿名にて調査の参考にさせていただきました。インタビューを受けていただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

 

 

修論 『Sustainability vs Culture : 日本の包装文化とサステナビリティを並置する』Part 2

前回は修論の背景やイントロダクションについてまとめました。

 

Part 1はこちら:

aaltoidbm.hatenablog.com

 

今回は Literature Review についてです。*このブログ記事では文中で直接引用はせず、当記事内で言及の参考文献は最後にまとめて記載しています。 

 

Literature Review

Literature Reviewとは、その名の通り、文献レビューです。現時点で既に出ている書籍や論文を調べまくり、研究を進めるために必要な背景情報を得ることを目的としています。パッケージデザインやサステナビリティに関する研究や書籍は十分すぎる程の量があります。そのすべてを端から端まで読むことは現実的ではありませんが、確実に知っておかなければならない事や、ここ1、2年の新しいテーマ等は抑えてなければいけません。 この修論の場合は2つの大きなブロック(日本のパッケージとサステナビリティ)に分けてLiterature Reviewを行いました。

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Building blocks of the literature review

長すぎるので当ブログ記事では大部分を省略し、(個人的に)面白いと思っている文化人類学的視点からみた日本のパッケージの原点をまとめることにします。

 


文化人類学視点から日本のパッケージを解読する

日本のパッケージデザインや包装の文化を調査するとき、共通のテーマが繰り返し浮かび上がってくることに気づきました。それは以下の3つになります:

  1. 贈答文化
  2. 神性としての包装
  3. 衛生の重要性

これら3つのテーマは相互排他的ではなく、すべてが密接に関連しており、互いに影響を及ぼしあっています。「贈答文化」は「神性としての包装」の概念から影響を受け、「衛生の重要性」は神聖さを保持する包装の必要性からも浮上します。 これらの3つがどの順番に出現したかを特定することは困難です。長い時間をかけて、互いに交わり合いながら文化のルーツとして発展したと考える方が現実的かもしれません。

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Three forces intertangle in the composition of Japanese packaging

 

1. 贈答文化

贈り物を授受することは、日本社会の一員であることの大きな部分です。休暇で旅行に行った場合、職場や友人、家族にお土産を持って帰ることは非常に一般的ですね。主に(生の果物とかよりも長持ちする)スナック菓子が多い気がします。旅行の土産話は、これらのスナックを食べながら繰り広げられるでしょう。個人主義とmetropolitanismの進展により、贈答の普及は減少していると言われていますが、都市化された環境(東京など)でもお土産の文化は日本では依然として非常に多いですね。

「包み」の著者である額田氏によると、本質的にこれらの贈り物は、社会関係を維持するための手順です。毎年、お中元とお歳暮の時期には贈り物は日本列島を飛び交います。スタンフォード文化人類学者の別府氏は、「葬儀の贈り物」、「送別の贈り物」、「親善の紹介の贈り物」、「旅行から持ち帰られた贈り物」など、35種類以上の「贈り物」の単語を特定しています。これらの用語は、現在の日本の生活においても使用されています。西洋の強い個人主義的価値観とは対照的に、小さなコミュニティでの対面関係を重視される日本では、儀式的手段を通じてこれらの関係を維持することは、意図的というよりも自動的です。


恩と義理

それでは、なぜ日本で贈答品を贈ることがこんなにも重要な儀式なのでしょうか。人間関係を象るシステムをより深く見ると、この国の文化について興味深い事実がわかるかもしれません。

「恩」と「義理」の価値主導型の人間関係の概念が、日本で贈答がなぜそれほど重要であるかを理解するのに役立ちます。 別府氏は、贈り物をする文化において最も強力な原動力として「義理」を特に強調し、「与えること」と「返すこと」の行為が社会で非常に重要であると説明しています。別府氏によると、贈答の行為は「お返し」によってバランスが取られています。このような相互関係は、通常、「お香典」や「祝い金」によく見られます。 「お香典」の場合、遺族が寄付金をきちんと記録し、寄付者に一定の見返りを返すのが一般的です(お香典返し)。人がどれだけ適切かつタイムリーにこれらのお返しを行うかは、日本の社会での立ち位置を決める重要な指標になります。

日本に詳しい文化人類学者のルース・ベネディクト氏は、「恩」は受動的に発生する義務であると分析しています。「恩」を受け取ることも「恩」を着ることもできます。「恩」を受け取ると、それを与えた人にお返しをする義務が発生します。これが「義理」です。ベネディクト氏は、受けた恩と「数学的に同等の価値」で返さなければいけない、と説明していますが、2020年現在ではこの「数学的等価性」は当てはまらないかもしれません。

なぜ日本人は贈り物を贈ったり返したりすることに熱心であるかという質問に対して最も簡単な答えは、日本人が社会的会員の保護を重視する「恩」と「義理」の原則によって導かれる組織システムが存在するということです。この哲学は日本独自のものであり、外国の方にはしばしば疑問となるようです。世界中のすべての道徳的コンセプトの中で、日本の「義理」は「最も奇妙である」と、ベネディクト氏は指摘しています。社会的関係維持の手段としての贈答 ー 現代の日本人はこの習慣の深い歴史を必ずしも意識しているわけではないかもしれませんが、これらの儀式や信念は世代から世代へと受け継がれ、「お土産を持ち帰る」などの日常の行動にまで及んでいるのでしょう。

 

2. 神性としての包装

日本の伝統パッケージの著名な研究者である岡秀行氏は、今日のパッケージが、資本主義社会において顧客を騙すためのツールである販売手法になってきていることを恐れています。彼の懸念とは別に、彼は伝統的な日本のパッケージの美しさが形になったことを、神聖な伝統 - 清めるという行為 - にそのルーツがあると分析しています。額田氏もまた、これに似たことを言及しており、「包む」という行為は、単に物を包むこと以上のものであると説明しています。

贈答における超自然的な信念

先の話の「恩」と「義理」に加え、贈答のもう一つの起源に、神道における超自然的な力に対する伝統的な信仰があります。農耕民族時代、収穫物は最初に神々にお供えされ、それから人間によって食されました。この習慣は今でも生きていますね。一般の家庭でも祭壇があれば、お米や食品類など、先にご先祖様にお供えされてから食べる家庭も多いと思います。贈り物が神に捧げられ、これらの贈り物は神から返されて、人間は神の力を賜ることができました。このような共飲共食の儀式直会(なおらい)と言います。食の共生(贈り物)を通じて神の力を授かるという概念は、日本における贈答の重要性の最も深い根の一つになったわけです。

熨斗(のし)と水引

贈り物に魂を注ぐという信念は、熨斗と水引の形でパッケージで実現され、今日でも非常に多く使用されています。誰かに贈り物をするとき、特に上記の別府氏が指摘する35個のケースのような"フォーマルな"ケースでは、熨斗を付けて水引で結びを付けるのが伝統です。デザイン研究家の松田行正氏によると、熨斗は、伝統的に干しアワビを使用して贈り物の上に付ける装飾です。水引は、装飾的な紐(シチュエーションによっては型と様式を細かく分割できる)を物理的に「結ぶ」ことによって、パッケージされた物に対して魂を注入する儀式的な行為です。現代では、熨斗と水引の両方が印刷された「熨斗紙」を一枚、張ることで十分フォーマルですね。

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3. 衛生の重要性

日本人が清潔さを好むことは、この論文では無視できない文化的要素です。冒頭で述べたように、日本のパッケージは​​、基本的な機能に加えて、衛生の象徴としても機能します。しかし、日本における衛生の認識は必ずしも物理的ではなく、心理的でもあります。人類学者の大貫-ティエルニー氏は、日本の衛生概念の説明は医学的な用語ではカバーできないと指摘し、日本における清潔に対する意識がわかる日常の例として、「玄関」を用いています。 

玄関:外と内を分ける場所

日本人は「外」を不潔なもの、「中」を清潔なものと見ます。最も明確な例は、日本の家の玄関でしょう。玄関では、靴は常に脱ぎますね。玄関があることにより、家の中に靴を履いて上がることはほぼないでしょう。「靴を脱げ」という二者択一のアフォーダンスです。傘など、持ち運び中に地面に触れた可能性のある一般的なアイテムも、玄関に保管されていることがよくあります。このスペースのポイントは、地面に触れたものは何でも「汚い」とし、家の中「綺麗なところ」には運び込まない、ということになります。靴を脱ぐというこの習慣は日本の家庭に限定されず、旅館、小学校、伝統的な料亭でも見られるでしょう。これを西洋の住居と比較すると、その違いは明らかです。

僕はアメリカでも幼少期を過ごしましたが、アメリカ人の友人が土足でベッドに入りこむ風景はいつまでも見慣れませんでしたね。ちなみにフィンランドでは日本と同じく、靴を脱いで家の中に入りますが、「玄関」のような建築的な特徴はありません。

このように、日本での衛生の重要性を考え、額田氏はパッケージは「内側と外側」、または「聖なるものと下品なもの」の2つの領域を分離するであると指摘していますが、玄関のような慣習からも衛生・清潔さへの文化的態度を見ることができます。


「包む」の語源を分析する

最後に、「包む(=パッケージ)」という用語を構成する文字を日本語で見てみましょう。下図は「包」の漢字ですね。高岡氏によると、この字の起源は、体内に胎児を宿している母親の表現です。「勹」が人の側面図で、「巳」が胎児ですね。「包装する」という意味は、物に保護の外層を与えるという単純な機能的行為を超越し、母親が体内に胎児を宿すということにルーツがある、神聖な行為として捉えられていたことがわかります。

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「包」の起源 出典:Takaoka et al., 2011

 

今回は日本のパッケージを紐解くヒントとして、文化人類学的視点から見た包装文化を抜粋し、まとめました。こうやってみると包装に限らず、やはり日本文化は奥が深く、何気ない慣習の一つ一つに鬱然たる歴史と意味があることがわかります。奥が深すぎて、何か霊的な、超自然的な力を感じるくらいです。

 

次回は Empirical Research(実証研究)について書きます。

 

参考文献(抜粋)

  • Befu, H. (1968). Gift-giving in a modernizing Japan. Monumenta Nipponica, 23(3/4), 445-456.

  • Benedict, R. (1989). The Chrysanthemum and the Sword : Patterns of Japanese Culture. Tokyo: Charles E. Tuttle Publishing.

  • Itoh, M. (2011). Zoutou no Nihon Bunka [Japanese culture of gift giving]. Japan: Chikuma Publishing.

  • Matsuda, Y. (2008). Wajikara: nihon wo katadoru [Japanese Power: Shaping Japan]. Tokyo: NTT Publishing.

  • Morsbach, H. (1977). The psychological importance of ritualized gift exchange in modern Japan. Annals of the New York Academy of Sciences, 293(1), 98-113.
  • Nukada, I. (1977). Tsutsumi. Japan: Hosei University Press.
  • Ohnuki-Tierney, E., & Emiko, O.T. (1984). Illness and culture in contemporary Japan: An anthropological view. Cambridge University Press.
  • Oka, H. (2008). How to Wrap Five Eggs: Traditional Japanese Packaging. Boulder: Shambhala Publications.
  • Takaoka, K., Hamasaki, K., and Yoda, H. (2011). Furoshiki. Japan: PIE International Inc.

修論 『Sustainability vs Culture : 日本の包装文化とサステナビリティを並置する』Part 1

2019年の夏、僕は東京での夏季休暇を中国からの旧友と共に楽しんでいました。2人でスーパーに立ち寄り、飲み物やスナック菓子を買うと、その友人が突然「日本の商品のパッケージは正直、やりすぎだよね」と言いました。「そうだね」とその場では同意したものの、その理由を明確に説明できないことに気付きました。その夏、僕は日本で買う商品のパッケージの量に注意を払い、その友人の言ったことを考えてみました。確かに、やりすぎのように感じました。

日本のパッケージは過剰なのかーこの単純な疑問を、アールト大学IDBMにおける修士論文の研究テーマの出発点にすることにしました。

これはアールト大学IDBMの2年目で修士論文の研究として行い、発表したものを日本語に訳し、一部を抜粋して書いたものです。長いのでいくつかのパートに分け、今回はPart 1になります。

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修論のDefenseで使用したスライドのタイトルページ

背景

時は2020年ーこの惑星の気候は刻々と変化しています。差し迫った気候変動の脅威は、地球の未来を脅かすだけでなく、人間の暮らしや経済活動の基礎となる生産も危険にさらします。この前例のない危機を克服するには、注意深い着目、迅速な対応、国や政府を超えたシームレスなコラボレーションが必要です。

日本はこのレンズを通して見るのが面白いケースです。豊かな歴史と第二次世界大戦後の経済的飛躍は相まって、経済的成功だけでなく、G8等の国際連合における気候変動政策の合意を推進するリーダーの1つにもなりました。

日本は環境保全に非常に積極的です(のように見えます)。 「もったいない」と呼ばれるグローバルな日本語さえあります。これは、まだ使えるものを捨てることに対する「罪悪感」の様な言葉でしょうか。日本のほぼすべての地方自治体には厳格なリサイクル方針が設定されており、多くの市民は協力しています。ごみを45種類に分別することで廃棄物ゼロを目指す徳島県上勝町は、リサイクルと削減への市民の取り組みを表す好例といえるでしょう。

一方で、多くの記事は、過度の物質使用に対する日本の慣習を批判しています。Nikkei Asian Reviewは、日本を「プラスチック廃棄物の一人当たりの生産量で2番目に多い」と指摘し、「持続可能性に対する意識は他の国に比べて遅れている」と指摘しています。

国連のSDG'sの12番目の目標は消費量を削減=梱包材の量を削減することを提唱し、消費/使用量を減らしてリソースを節約することを論じています。過剰な材料使用の事例は、持続可能性のトピックと本質的に矛盾しているようです。

この具体的な例の1つに、日本でお菓子を購入するときに伴う包装の量があります。たとえば、クッキー1つとっても、最終的に商品に到達するまで何層もの包装を剥がさなければいけません。現代の日本の消費者にとって、これは自然なことであり、多くの場合、製品が信頼できることを示しています。また、衛生の問題もあります。大きなパッケージ内にプラスチックの個包装を使用すると、製品の衛生状態が向上します(誰も食べ物に触れなかったことが確実になるためです)。品質と衛生に加え、日本の贈答文化にも包装習慣の原点があります。物事を優雅に、そして重ねて包むことは、尊敬の念の物理的な表現です。日本のパッケージの概念は、西洋での「To pack」という概念よりもはるかに深い意味を持っています。


同僚とのミニ実験

研究の初期段階で、アールト大学IDBMの同僚の2人とミニ実験を行いました。どちらも日本出身ではありません。僕が日本から持ち帰ってきた贈答用の製菓を使い、彼等がパッケージを開いている間に彼らの反応を観察するというものです。この研究は網羅的ではなく、コントロールされた変数を用いて行われたわけでもありません(それぞれに異なる菓子が与えられました)。このミニ実験は、日本のパッケージにめったに接触しない人から直接反応を得ることを意図していました。彼らの「開梱体験」は、僕がサイレント・オブザーバーとしてビデオに記録しました。ここに彼らの発言のいくつかがあります:

 

学生Aからのコメント:

  • 「本当にきれいに梱包されているね!」(開封前に製品を見て)
  • 「すごいな...」(外部の包装紙を外した後、より多くの包装材料を見て)

 

学生Bからのコメント:

  • 「すごい素敵なパッケージだね!」(開封前に製品を見て)
  • 「新しいiPhoneの箱を開ける感じだね」(蓋を開けようとして)
  • 「(パッケージの)量は、このような小さなビスケットには多すぎだよ」(ビスケットを持ちながら)

 

上記の同僚と私が行ったミニ実験から、少なくとも日本人以外の観点からは、パッケージが過剰であると解釈される可能性があることがわかりました。彼等は、パッケージの丁寧さやクオリティに感動していましたが、多くの量の包装材が適用されていることに対して驚いていました。

この実験ではその根本的な理由や、サステナビリティに関連してパッケージで何が起こるべきかについて、それ以上の洞察は得られませんでしたが、異なる方向を向いている2つの力があることは明らかでした(下図)。この論文はそれらの力を理解することであり、それらが同じ方向を向く方法を探ることであるというヒントを与えてくれました。

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Juxtaposition of forces looking in different directions

 

リサーチクエスチョン

この論文の目的は、主に次の2つの質問に答えることです。

  1. 日本のパッケージの現状を形づくる歴史的、社会的、文化的要因は何か?それは今日のサステナビリティとどのように並置するのか?
  2. 日本のパッケージは、日本の社会文化的価値を保ちながら、ますますサステナブルになっていく世界とシンクすることができるか?もしそうなら、どのようにできるのか? 

 

貢献

この論文の目的は、日本のコンシューマープラクティスを批判したり、サプライチェーン内に存在する問題を非難したりすることでも、パッケージの全体像問題に対して単一のソリューションを提供することでもありません。代わりに、これは日本のパッケージを構成する歴史的、文化的、社会的要因を明らかにし、今日の世界における持続可能思考とのギャップを特定することです。パッケージデザインの専門家やパッケージング資材メーカー企業とのインタビュー、そして日本の一般消費者に対するアンケート等、直接的なデータを統合し、この論文では、日本の包装文化にどのような未来があるか、とりわけ持続可能性とどう調和していけるのか、という命題をまとめます。したがって、この論文の貢献は、現在の知識のギャップを埋めることによって生まれる、新しい知識になります。

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Research Area


動機

この論文を進める上で最も重要な問いの1つは、なぜこれを行うのか、でしょう。主な理由は3つあります。

第一に、この論文はいかなるビジネスや企業によってスポンサーされておらず、特定の会社のニーズに応えるものではありません。代わりに、この論文は僕自身の個人的な好奇心と興味に由来しています。僕はイギリスで生まれ、アメリカで育ち、日本でキャリアを築き、フィンランド修士課程を修了することができました。日本にルーツを持っていることを誇りにしながら、国際的なバックグラウンドに感謝しています。一方で、日本の文化やその国を形作る人類学的重要性についてはほとんど知らないのではないかという、潜在的不安がありました。したがって、僕はこの論文を、日本の文化について理解を深める機会として利用したいと考えました。

第二に、僕は2018年にフィンランドに引っ越して以来、サステナビリティに関するトピックの絶え間ない波にさらされています。アールト大学では持続可能性への関心やトピックを嫌という程見聞きします。同時に、自宅のゴミ箱を見て、内容の大部分が梱包材であることに気付きました。パッケージの必要性とそれによって自分自身が環境に引き起こすダメージを考えると、これらの2つの対立する力の問いは興味深いものでした。

最後に、前のポイントを補足して、この論文では日本のパッケージの問題を探っていますが、全体像として、異なる世界間に橋をかけたいと思っています。片方からは、日本のパッケージの原点を明らかにし、もう片方からは、日本の文脈における、持続可能性に関する将来のビジョンを提供します。これをデザイン・ディスコースを通じて世界中の聴衆に結びつけることで、この論文が理論的な貢献だけでなく、具体的な洞察も提供することを期待しています。


この論文がしないこと

この論文は、日本の包装の意味と、その未来を想像することに力を注いでいます。コンテクストを設定するため、贈答用の菓子折をケースに用いていますが、持続可能性自体は複雑な問題であるため、この論文では次の点については触れません。


・本論文では、気候変動という大きな問題自体を主要なトピックとして取り上げていませんが、包括的なテーマとして、行動を起こすことの妥当性と差し迫った必要性が指摘されています。
・本論文では、野菜、果物、ローエンドの菓子類、またはその他の日用品のパッケージなどは対象外としています。
・本論文では、特定の銘柄や種類の製菓を事例として取り上げていません。
・本論文では、パッケージの材料や化学組成を調査しませんが、持続可能性の傾向とイノベーション事例を説明するためにいくつかの例が挙げられています。
・本論文は、パッケージのライフサイクルに特効薬を提供するものではなく、持続可能性のためのチェックリストを提示するものでもありません。

今回は修論の背景(Introduction/Background/Motivation)についてまとめました。次回は理論的研究(Literature Review)について書きます。


次回へ続く

夏のフィンランドを島で楽しもう - セウラサーリ島にIDBMでピクニック

7月のフィンランドは1ヶ月間まるまる夏休みモード。今年も晴れの日が多く、とても気持ちの良い夏です。

 

日中はアールト大学での仕事、そして個人で請けている仕事を行い、 夕方は勉強や散歩/ランニング、友人と集まったりして夏を過ごしています。

さて、この間の週末はヘルシンキ市内にまだ残っているIDBMの仲間たちと、セウラサーリ(Seurasaari)という島にピクニックに行ってきました。

この島自体に来るのは2回目ですが、今回は天気がとても良く、写真もたくさん撮れたのでその写真をペタペタ貼っていきたいと思います。

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セウラサーリは市内から北西のところ

フィンランドには大小たくさんの島があるのですが、この島はヘルシンキの中央のKamppiからバスで約15分でたどり着けます。自転車でもok。本島とは橋で繋がっているので、歩きでも入れるのが魅力です。

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橋でつながってるので歩いて入れます

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この赤茶色いリスが生息していることで有名らしい

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海に通じる滑らかな岩の良い場所を確保

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各自持ち寄ったランチでピクニック開始

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昼食後、水の中へ

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入水

水は暖かく、とても気持ち良い温度でした。風が吹き始めるとむしろ水の中の方が暖かいくらい。波もそんなになく、ボートが通りかかった時や風が吹いたときくらい。天気に恵まれた1日でした。

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夕方頃には熱気球も飛び始めてました。調べたところ搭乗料金は1人200ユーロ強(何時間は不明)。

 

この日は夜の10時半/11時くらいまでこの島でピクニックしましたが、そのまま岩の上で寝て1夜を過ごしてしまっても良かったのではないかというくらいの穏やかさでした。

 

ちなみに、この島は「野外博物館」といって昔の暮らしや教会などを見物できます(有料)。歴史ある建物や昔の小屋の様子を見物するのも良し、なのですが、この島を本当に楽しむのはこの博物館ではなく、自然を楽しむピクニックだと思います。なので、夏の間にこの島に来れる場合、以下を持ってくることを個人的にはオススメしたいと思います:

  • タオルやシートなど、下に敷くもの
  • お昼ご飯(島内にはカフェもレストランもあり)
  • 水着(泳ぎたければ。オススメ)
  • のんびり過ごす時間的余裕(半日/1日使うつもりで)

  

ちなみに、下の画像は別の日に自宅近くで撮影した写真。夕焼けが蛍光色で気持ち悪いくらい綺麗な赤。身体中10箇所くらい蚊に刺されながら見てました。

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ヴァンター川の河口から見た夏の夕焼け

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段々濃くなっていき。。

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かなり明るいオレンジに

上の3枚とも、フォトショなどで加工していません。スマホの自動調整で写っているとはいえ、肉眼で見えたときと同じくらいの見え方でした。

🦔フィンランドで野生のハリネズミと遭遇

それは先週のいつもの散歩の時でした。

道の先に何やらモゾモゾと動く小さな物体が。

ウサギかな〜と思って歩きながら近づきました。しかしウサギなら足音がした時点か、人間の気配がした時点でサーっと逃げてしまうのですが、この動物は何か違う。僕が近づくことを気にするようなこともなく、じっとそこでモゾモゾ。葉っぱを食べているようにも見えました。

さらに近づいて見ると、その正体はなんと🦔ハリネズミ!(モグラにも見えた)

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フィンランドハリネズミ

え、ハリネズミ?野生に生息してるものなの?しかもフィンランドで?

ペットで飼い主か誰かが近くにいるのかなと思い、辺りを見回すも、他に誰もいる様子はなく。。

 

ハリネズミは、絶滅寸前でハリネズミカフェでしか見ることのできない幻の生物だと思っていたので、尚更驚きでした。

 

動画も撮影していたのですが、特に僕の存在を気にすることもなく、葉っぱをモグモグ食べたり、そこらへんを呑気に歩いていました。

 

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ハリネズミと見つめ合った

しばらく行動を見ていましたが、やっと僕の存在に気が付いたのか、ピタッと止まりました。そのままこのハリネズミと1分ほど見つめ合い。

 

後ほど、家でフィンランドハリネズミについて調べてみたところ、フィンランドの北部(冬が長く、寒さも厳しい)ではハリネズミはそこまで生き延びれないが、南部(ヘルシンキ等)では結構な数が生息しているとのこと。ネイティブの種類ではなく、人間により意図的に持ち込まれたらしいです。

 

しかし野生のハリネズミ、かわいいー🦔

Climate Leadership Coalitionで登壇しました

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Climate Leadership Coalitionのサイトより

僕がやっているアールト大学での仕事の一つに、Climate Leadership Coalitionという組織のための活動があります。

この組織は何かというと、"環境問題を取り扱うヨーロッパで最大の非営利団体"(CLCサイトより)だそうです。2014年にSitraなど(フィンランドの政府系イノベーションファンド)やフィンランド国内の企業によって設立されました。

2020年6月現在では46の企業、7つの大学、6つの市、6つの貿易組織、4つの研究機関、1つの財団と、1つの労働組合が連立し、構成されています。アールト大学も参画していて、僕の修論のアドバイザーだった先生も関わっている、ということになります。

 

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色んな組織が参画

CLCのサイトから言葉を引用すると、この組織の信念は以下になります:

持続可能な世界は経済的に有益であり、達成が可能であり、賄うことが可能である。

(中略)

私たちは共に、ビジネスを通じて気候変動にプラスの影響を与えることを目指す。CLCは、(政府などの)意思決定者に対し、予測可能で大胆なポリシーと体系的な市場主導型ソリューションを介して投資を誘致することにより、持続可能性の加速をすることを奨励する。 

簡単に言うと、様々な企業・研究機関・政府組織を横断して連立をたて、知識等を共有し、政府などのポリシーメーカーに対して持続可能なソリューションや政策を助言していく、ということになります。

産官学の三位一体で地球の持続可能性に立ち向かう、といったところでしょうか。それぞれ環境に対しての意識が高いフィンランドだから機能する、という感覚はあります。

CLCの活動の軸となるテーマは13個ほどありますが、僕が先生と関わっている部分はCircular Economy(循環型経済)のエリアです。

 

さて、2週間程前のことになりますが、このCLCで、IDBMで書き上げた修士論文をプレゼンさせていただく機会がありました。サーキュラーエコノミーのテーマでのナレッジ共有プレゼン会、みたいな会合で、4人がプレゼンしました。僕以外の3人はアールトの講師・教授でかなり豪華な顔ぶれ。Idil Gaziulusoy教授(アールトではサステナビリティとデザインに関してはスーパースター級の名物教授。Design Researchの授業もこの先生が教えてくれた)も発表していました。自分が横に並んでプレゼンしていいのかって思うようなメンツ。。。

Sitraで発表会があるはずだったのが今回はオンラインで実施(残念。。)当該テーマに興味のあるメンバー30名ほどが聞いてくれました。

エキスパートと並んで発表すること自体が恐れ多かったのですが、質問やコメントをたくさんもらえたのが正直嬉しかったです。(むしろ質問とコメントを一番多くもらえたかもと思っています。先生と教授陣の話は少し専門的に偏ってしまい、知識のバラつきがあるオーディエンスには難しすぎたかも)

 

このような機会をもらえたのはありがたいですね。次に繋がることを期待したい。